喜びを探し求めて
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が私たちのうちで最もあがめられるよう、神は私たちをお造りになったのです。 | が私たちのうちで最もあがめられるよう、神は私たちをお造りになったのです。 | ||
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もし私たちが神のご栄光のために造られたのなら、主のために生きなければならないのは | もし私たちが神のご栄光のために造られたのなら、主のために生きなければならないのは | ||
明らかです。私たちの義務は、主の目的からきます。 ですので私たちのまず第一の義務は、 | 明らかです。私たちの義務は、主の目的からきます。 ですので私たちのまず第一の義務は、 | ||
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従順の根本です(コロサイ 1:4-5)。 | 従順の根本です(コロサイ 1:4-5)。 | ||
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「神からの栄誉を受けることができず」とはどういう意味でしょうか? それは、私たちのうち誰 | 「神からの栄誉を受けることができず」とはどういう意味でしょうか? それは、私たちのうち誰 | ||
も神を信頼せず、大切にしていない、という意味です。誰も主の偉大さに満足し、主の道を | も神を信頼せず、大切にしていない、という意味です。誰も主の偉大さに満足し、主の道を | ||
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私たちのすべてが神のご栄光を軽くあしらってきました。どのようにでしょうか?主よりも他の | 私たちのすべてが神のご栄光を軽くあしらってきました。どのようにでしょうか?主よりも他の | ||
ものを好むことによってです。主に感謝せず、信頼せず、反抗することによってです。ですの | ものを好むことによってです。主に感謝せず、信頼せず、反抗することによってです。ですの | ||
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やられているでしょう。でも、聖書はここで終わりません。 | やられているでしょう。でも、聖書はここで終わりません。 | ||
- | 5) 神は永遠のいのちと喜びを与えるため、ご自身のみ子イエスをお遣わしになった | + | '''5) 神は永遠のいのちと喜びを与えるため、ご自身のみ子イエスをお遣わしになった''' |
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良い知らせは、キリストは私たちのような罪人のために死なれた、ということです。そして主 | 良い知らせは、キリストは私たちのような罪人のために死なれた、ということです。そして主 | ||
は、その死に救う力があることを立証するため、また永遠のいのちと喜びの扉を開くため、 | は、その死に救う力があることを立証するため、また永遠のいのちと喜びの扉を開くため、 | ||
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遠に続く満足があるのです。 | 遠に続く満足があるのです。 | ||
- | 6) キリストの死によって買い取られた恵みは、悔い改め、主に信頼する人々のもの | + | '''6) キリストの死によって買い取られた恵みは、悔い改め、主に信頼する人々のもの''' |
「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に | 「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に | ||
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イエスにおいて、神が私たちのすべてであられるということに満足することからくる喜びが、 | イエスにおいて、神が私たちのすべてであられるということに満足することからくる喜びが、 |
2012年5月1日 (火) 22:54時点における版
By John Piper About Evangelism
Translation by Yoshiko Akers
神は私たちに「喜びなさい」とご命令になるのを、知っていますか?
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(詩篇 37:4)
1)神は私たちをご自身の栄光のために造られた
「わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。・・・わたしの栄光 のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ 43:6-7)
望遠鏡が星を拡大するように、神は私たちがご自身の偉大さを拡大するよう、私たちを造ら れました。ご自身のいつくしみとまこと、美しさ、知恵、義を映し出すよう、私たちをお造りに なりました。神のご栄光をもっとも顕著に映し出すのは、神が私たちにとって神であられるこ とのすべてを心の底から喜ぶところから来ます。これはつまり、神が賛美をお受けになり、 私たちが喜びを得るということを意味します。私たちが神にあって最も満足するときに、主 が私たちのうちで最もあがめられるよう、神は私たちをお造りになったのです。
2) すべての人間は神のご栄光のために生きなければならない
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現 すためにしなさい。」(1 コリント 10:31)
もし私たちが神のご栄光のために造られたのなら、主のために生きなければならないのは 明らかです。私たちの義務は、主の目的からきます。 ですので私たちのまず第一の義務は、 神が私たちにとって神であられるそのすべてに満足することで、神のその御価値を見せる ことです。それが神を愛することの本質であり(マタイ 22:37)、主を信頼することであり(1 ヨハ ネ 5:3-4)、また主に感謝することです(詩篇 100:2-4)。それが特に他人を愛するという、真の 従順の根本です(コロサイ 1:4-5)。
3) 私たちのすべては神に栄光をお返ししていない
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ 3:23)
「神からの栄誉を受けることができず」とはどういう意味でしょうか? それは、私たちのうち誰 も神を信頼せず、大切にしていない、という意味です。誰も主の偉大さに満足し、主の道を 歩んでいません。私たちは他のものに満足を求め、それらを神より価値あるものとしていま す。そしてそれが、偶像礼拝の本質なのです(ローマ 1:21-23)。罪がこの世に入ってきて以 来、私たちのすべては、神をすべてを満たして下さる宝として受け入れることを、断固として 拒否し続けています(エペソ 2:3)。これは神の偉大さに対する最悪の侮辱です(エレミヤ 2:12-13)。
4) 私たちのすべては、神の正しい有罪宣告の下にある
「罪から来る報酬は死です。」(ローマ 6:23)
私たちのすべてが神のご栄光を軽くあしらってきました。どのようにでしょうか?主よりも他の ものを好むことによってです。主に感謝せず、信頼せず、反抗することによってです。ですの
で神が、私たちを、ご自身の栄光を楽しむことのないよう、締め出されるのは当然です。「そ のような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受 けるのです」(2 テサロニケ 1:9)。
「地獄」と言う言葉は新約聖書では 14 回用いられています。そのうちの 12 回はイエスご自 身が用いておられます。この言葉は陰険で怒ってばかりいる説教家たちによって作り上げ られた、でっち上げではありません。これは、罪人を、その呪いから助け出すために死なれ た、神のみ子からの、厳粛な忠告なのです。
もし聖書が人間の現状を分析するところで終わっていたなら、私たちは絶望的将来に追い やられているでしょう。でも、聖書はここで終わりません。
5) 神は永遠のいのちと喜びを与えるため、ご自身のみ子イエスをお遣わしになった
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そ のまま受け入れるに値するものです。」(1 テモテ 1:15)
良い知らせは、キリストは私たちのような罪人のために死なれた、ということです。そして主 は、その死に救う力があることを立証するため、また永遠のいのちと喜びの扉を開くため、 死から物理的によみがえられました(1 コリント 15:20)。これは、神が、有罪の罪人を無罪で あると宣言してもなお、正しくあられることができる、ということを意味します。「キリストも一 度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、… 私たちを神のみもとに導くためでした。」(1 ペテロ 3:18)神のみもとへ帰ることにこそ、深く永 遠に続く満足があるのです。
6) キリストの死によって買い取られた恵みは、悔い改め、主に信頼する人々のもの
「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に 立ち返りなさい。」(使徒 3:19)
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒 16:31)
「悔い改める」というのは、罪の偽りの約束すべてから離れるという意味です。「信仰」とは、 イエスにあって、神が私たちにとってどのようなお方であられるか、という約束に、満足する ことです。「わたしを信じる者は、」「決して渇くことがありません」とイエスは言われます(ヨハ ネ 6:35)。私たちは自分で救いを得ることができません。救いを受けるに値しないのです(ロ ーマ 4:4-5)。信仰を通しての恵みによってのみ(救われるの)です(エペソ 2:8-9)。それは無 償の贈り物です(ローマ 3:24)。もしそれ(救い)をすべてに優るものとして大切にするなら、私 たちのものになります(マタイ 13:44)。そうすると、私たちが主にあって永遠に満足するとき、 主は私たちのうちでご栄光を受けられる、という創造における神の目的が、達成されるので す。
分かりますか?
イエスにおいて、神が私たちのすべてであられるということに満足することからくる喜びが、 欲しいと思いますか?もしそうでしたら、あなたの人生に神は働きかけて下さっています。
何をしなければならないのでしょう? Page 3 罪の偽りの約束から離れてください。罪と罰と束縛から救われるよう、イエスを呼び求めてく ださい。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです(ローマ 10:13)。イエスに あって、神が私たちのすべてであられるという希望に頼りはじめてください。神のみ約束の、 何にも勝る満足感を信じることによって、罪の約束の力を断ち切ってください。あなたを自由 にしてくれる、主の尊い偉大な約束を見つけるため、聖書を読み始めてください(2 ペテロ 1:3-4)。聖書を信じる教会を探し出し、キリストを何にも勝る宝とする人々と一緒に礼拝し、 成長してください(ピリピ 3:7)。 この世で最も素晴らしい知らせは、私たちの幸せと神の聖さには何ら矛盾がない、というこ とです。神がイエスにあって私たちのすべてであられる、ということに満足することこそ、神 を最高の宝としてあがめることなのです。 「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あな たの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇 16:11) 新約聖書で登場する「地獄」ということば 「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばき を受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』というような者は、最高議会に引き渡 されます。また、『ばか者』と言うような者は、燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイ 5:22、 イエスのみことば) 「もし、右の目が、あなたをつまづかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの 一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。」(マタイ 5:29、イ エスのみことば) 「もし、右の手があなたをつまづかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を 失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ 5:30、イエスのみこと ば) 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、 たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ 10:28、イ エスのみことば) 「また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てな さい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、 あなたにとってよいことです。」(マタイ 18:9、イエスのみことば) 「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは改宗者をひとりつくるのに、海と 陸とを飛び回り、改宗者ができると、彼を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのです。」(マ タイ 23:15、イエスのみことば) 「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれるこ とができよう。」(マタイ 23:33、イエスのみことば) Page 4 「もし、あなたの手があなたのつまづきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに 入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよ いことです。」(マルコ 9:43、イエスのみことば) 「もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに 入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことで す。」(マルコ 9:45、イエスのみことば) 「もし、あなたの目があなたのつまづきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目 で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとって よいことです。」(マルコ 9:47、イエスのみことば) 「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投 げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を 恐れなさい。」(ルカ 12:5、イエスのみことば) 「その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見え た。しかも、そのふところにラザロが見えた。」(ルカ 16:23、イエスのみことば) 「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人 生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。」(ヤコブ 3:6、ヤコブのことば) 「神は、罪を犯したみ使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴 の中に閉じ込めてしまわれました。」(2 ペテロ 2:4、ペテロのことば)