どのように時間を過ごすべきか?
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2011年4月7日 (木) 01:50 時点における最新版
By John Piper
About Knowing God's Will
Part of the series Ask Pastor John
Translation by Kyoko Hirata
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以下は、音声から書き起こされ、編集されたものです。
どのように時間を過ごすべきか?
わたしの時間の使い方――自分が望んでいるほど上手ではありませんが、わたしが知っている唯一の聖書的な時間の使い方――は、ローマ人への手紙12章2節にあることを経験することです。今日、この午後、何かを優先し、選び取る際に、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か……をわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」。
今日決めなければならないことを前にして、どのようにすれば、神の御心は何か、つまり、何がよいことで、神に受け入れられ、完全であるのか、が分かるのでしょうか?聖書による答えは、「心を新たにしなさい」というものです。
どのような行為がおおよそ神に受け入れられ、受け入れられないのか、といったことを見分けるために、御言葉と祈りに専心するのではなく、物事に対して、キリストが行われるように考え、感じる心を手に入れるために、御言葉と祈りに専心するのです。そうすれば、電話が鳴ったり、どこかへ行く機会が生じたり、これかあれかを選ばなければならないとき、どのようにすればキリストが強調されるか、信仰が打ち立てられるか、人々が愛されるか、を見分ける心のようなものがあるはずです。
面白いのは、神聖さとか愛といった場合に、正式な神学のように説明することはほとんどできないけれども、非常にうまく見分けることができる人々がいるということです。そういった人々は、瞬間的に、またたく間に、どのような言葉が最も効果的で、どのような行動が最も適切であるか、を見極めることができるようです。そして、「どうしてそんなことをしたの?」と尋ねたとしても、そういった人たちは分かりやすく説明することはできないでしょう。彼らはすぐに分かったのであり、霊的な直観であって、やっていいことと悪いことのリストを検討したわけではありません。
そして、これこそがわたしたちが望んでいるものです。朝起きて、御言葉に親しみ、祈ったうえで、心を新たにしたいものです。